No.26中国⑤上海—租界時代の名残—

—前回までのあらすじ—

上海に到着し2年ぶりに会社の同僚だった平中と無事再会を果たす。知らぬ間に出来ていた中国人の彼氏チュンとその友達クリス、ワンイーと遊ぶ事に。日本語が堪能な彼らのおかげで言語の負担感じる事無く過ごす事が出来、少し不思議な一夜を過ごしたのであった。

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おいでやす〜。

 

中国3日目

酒を飲み、ゲームをしてまた酒を飲むという、学生時代に戻った様に新たな友達と平中との再会を祝った昨夜。こうして偶に知り合いと外国で会う事は、良いリフレッシュになると実感した。

ずっと心に抱いてた世界旅行。積み重ねた歳と共に増えた様々な友達。また色んな場所で再会したいな!

という事で上海に居る間は存分に楽しみます。

 

朝食。

貧乏旅行の私が泊まるのは大体一番安い6〜8人の二段ベット式の共同部屋。本来寮とかの意味で使われる「ドミトリー」と言われる格安素泊まりホテル。トイレ・シャワー共同。1泊500円〜くらいの所です。(今更ドミトリーの説明)

そういう場所で泊まれば、同じ様なバックパッカーがガンガン来てガンガン外国人と交流する訳です。

上海で泊まっているドミトリーで、何と日本語が話せる中国人の方が居て『ご飯食べにイキマショウ』と言われ上海の繁華街「新世界」の奥辺りのお店を紹介してくれました。

右の方が誘ってくれたLishiさん。西安交通大学の助教授?多分まだ教授じゃないと思うんですが、ま、上海の他大学に授業の手伝いで来たそうです。

最初『はえー、すごいですね!』なんて若干空返事になってしまったんですけど、この西安交通大学って理系では全国でもトップクラス。あの清華大学に並ぶ程らしいです。

清華大学ってなんだよ。と思うかもしれませんが、2018年世界大学ランキング30位の超頭良い大学。東京大学は46位、京都大学は74位。と書くと凄さがわかります。早稲田に留学して居た事があり、ゼミの写真とか話を聞かせてくれました。

なんであんなドミトリー泊まっているんだ!!笑

食べたのは牛肉麺と、焼き小籠包。両方ともうめええええ。

またどこかで会いましょうね!と力強く言われました。もう何人の外国の方と会う約束したんだろ。笑

上海のオシャレ街・武康路

さて、平中とチュンと観光した時の話です。

2人は私が来るこの日の為に色々計画を建ててくれていました。

まず連れて行ってくれた場所は「武康路(ウーカンルー)」という所。

最初の画像はウーカンルーのシンボル?の「武康大楼」
1920年代に建てられた、このエリアを代表する古い洋風の建物だそうです。

中国人観光客をイメージしてみると、まず出てくるイメージって「うるさい」とかじゃないですか?笑

ここ中国はその人民のホームグラウンド。更に経済発展著しい上海なんてどれだけカオスなんだ…何て想像したり。だから中国って雑多なイメージがあったのですが、この武康路は全く持って真逆の場所。凄くオシャレで、モダンな雰囲気満載本当にここ中国なの!?って思う様な所です。

いい感じじゃねーか!!我居ない方がいい!?

1920年代フランス租界地の影響

アヘン戦争(1840~42年)でイギリスに敗れ南京条約により香港の割譲やこの上海における租借地を認めます。不平等条約を結んだ訳です。治外法権・関税自主権の撤廃って授業でよく聞きましたよね。

清の弱体化につけ込んでアメリカフランス条約を結んでが上海での租借地を獲得していきます。

「租界」とは何か。

もと中国の開港都市で、外国人が警察・行政を管理した一定の地域。

1854年英米仏はそれぞれの租借地をまとめた「租界」を形成し、1861年にフランスは単独でフランス租界をつくります。上海の中ににフランスが出来上がる訳です。

ただ租界を有したことによって、世界への窓口ともなった上海。あらゆるモダンなものに溢れ、誰でもハリウッド映画やジャズなどのアメリカ文化、カフェなどのフランス文化などを、直接享受することができたそうです。

第2次世界大戦の終了後、1949年中華人民共和国の成立とともに租界は消滅。
ただ、その名残はこの様に健在であり、そのなかでも租界黄金時代の雰囲気を濃厚に残しているのが武康路だそうです。

 

確かに、「ここ、俺んち!!」って言ったら人気者になれそうなお家ばかり。凄く素敵な建物や、それを上手に利用したオシャレなカフェやレストランが沢山ありました。デートスポットとしても人気なのかな。

 

 

瑞金寳館へ

次に連れて行ってくれたの瑞金賓館。
フランス租界の真ん中にある、洋館を利用したホテルです。

凡そ5万㎡の広大な敷地に庭園と建物が点在しています。

一号楼、二号楼、三号楼は1920年代、30年代にイギリスの富商モーリスが建てた物、四号楼は日本の三井洋行が所有していた三井花園にあり、
アヘン商売が盛んに行われていたそうです。

日本の戦前の洋館によく似た雰囲気を出してます。

 

宿泊する訳でもないのに、ガンガン中に入れます。

チュン曰く『これが中国だ』そうです。笑

この大正〜昭和初期の煉瓦造りの建築凄く好きです。東京駅とかそういう雰囲気の建物。

 

 

中国は色んな歴史がありますね。違った一面が見れて良かったです。是非皆さんも上海を訪れたら是非。

夕飯・中華料理

夕食へ。

八宝菜と蟹。

角煮。

長い貝。

全部旨かった!

平中と昔話に花咲かせ、向こうの仕事の事とか、お互い転勤した後の話とか。お互いの今後の事話して、なんか懐かしかった。我の今後の話しなんてふわっとしてるけどさ笑

帰り道サイゼリアを発見。高校時代の聖地。アジアでも活躍。

夜の街を少し散策

上海と言えば夜景。夕食後少し散歩がてら夜景を見る事に。

前半にも書いた様に租界等で外国の文化が一気に入り込んだこの一帯は当時の雰囲気を活かして上手に発展していた。

外灘(ワイタン)という所から見る、そうここが上海!というイメージが強い場所。向こうのこのビル群が急速に発展して行った経済都市上海の象徴。あのビルの中に平中の部署がある。明日はあっちに行く事に決めた。

上海は最先端の経済都市だった。「英語の次は中国語」なんてビジネスマンの中の認識だが、その意味を肌で感じる一日だった。

 

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No.26中国⑤上海—租界時代の名残—” に対して1件のコメントがあります。

  1. チャム より:

    平中ええやん
    よろしく言うといてや

    1. takuro より:

      健康で文化的な最低限度の生活は出来てますか?笑

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